
2010年05月20日
バスケットボール連盟
昭和21年、目次国雄を初代理事長として島根バスケットボール連盟(現協会)が設立発足しました。
昭和39年の東京オリンピックを契機に底辺の拡大を目指し、昭和41年には日本協会主催で「少年少女バスケットボール教室」が東京で開催される。
島根も当時の理事長、門脇秀雄の発案で「小学校から一貫した育成を」と全国にさきがけて、松江少年少女バスケットボール教室がスタート。
松江の後を追い、三刀屋、木次、加賀、出雲、益田、浜田など各地に教室が開校。
昭和50年からは、県内の教室の交歓大会が開催されるようになった。
昭和60年には、県ミニ・バスケットボール連盟が発足する。
そして現在JBL等バスケットボールのプロと言われる物まで開設され、文化としての日本バスケットボールが根付いてきています。
昭和39年の東京オリンピックを契機に底辺の拡大を目指し、昭和41年には日本協会主催で「少年少女バスケットボール教室」が東京で開催される。
島根も当時の理事長、門脇秀雄の発案で「小学校から一貫した育成を」と全国にさきがけて、松江少年少女バスケットボール教室がスタート。
松江の後を追い、三刀屋、木次、加賀、出雲、益田、浜田など各地に教室が開校。
昭和50年からは、県内の教室の交歓大会が開催されるようになった。
昭和60年には、県ミニ・バスケットボール連盟が発足する。
そして現在JBL等バスケットボールのプロと言われる物まで開設され、文化としての日本バスケットボールが根付いてきています。
Posted by noriko5252331 at 17:42│Comments(0)